人生を変えた原付スクーター、それは高校時代最高の相棒だった
決まっていつも夜中。高校の授業と部活、さらにバイトを終え、そこから仲間と、ときにはひとりで海へと向かった。
もう15年以上も昔の話。高校時代に原付とともに過ごした日々は、僕のバイクライフの原点として、色あせることなく輝き続けている。
梅雨の晴れ間を狙って、レッツでナイトツーリングに出た。東京都新橋の編集部を出て、神奈川県藤沢の実家を目指す。
23時前。準備を終えて、レッツのエンジンをかける。
セルスイッチではなく、自然とキックで始動していた。キックスタートは、それだけでワクワクする。
この時間、コロナの影響もあり、すでに新橋周辺は静まり返っている。すぐに東京タワーが現れた。
都心を50ccの原付で走るには、気を使うことも多い。
時速30kmという制限速度は安全ではありながらも、クルマから見ればときに邪魔な存在になる。
日中はなるべく交通の妨げにならないよう、道を選んだり、後方を気にしながら走っていたが、夜なら安心だ。ほとんどクルマの往来はなく、バイクならではの開放感に満たされる。
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国道15号線に出て、あとは南下するだけ。太い道に出れはより安心だ。太い道の一番左側をたんたんと走る分には、マイペースでいい。道なりに走るだけだから、二段階右折を意識する心配も無用。
走り始めて約20分。ちょっと寄り道をすることに。山手線の新駅「高輪ゲートウェイ駅」が煌々としていた。
駅前はまだまだ開発中の模様。ただ駅へと続く新しい道が伸びているのみで、居酒屋やコンビニは駅前に見当たらない。
おそらくあと数カ月も経てば、様変わりしてしまう。いまだけの特別な景色だ。
東京は変化が面白いとここ数年より強く思う。国立競技場は解体されたのち、見る見る間に新たな競技場ができあがった。湾岸エリアも五輪に向けて、ずいぶんと様子が変わった。築地市場から豊洲市場に移った際にも副産物として、新たな道が生まれている。
いま、個人的に経過を見続けているのは、渋谷の駅前。大規模な開発によりどんな巨大な最新ビルが建つのか楽しみだ。
再び15号線に戻り、南下を目指す。23時20分、五反田に出て、国道1号線にスイッチした。あとは、藤沢までこの道に乗っかっていればいい。
国道1号線といえども交通量は少ない。気楽さも相まって、だんだんと意識は外から内に向いてくるのが分かる。
この瞬間がツーリングをしていて、一番好きなときだ。
心地いい夜風を受けながら、いろいろなことを考えたり、思い出したり。
夜道を原付で走っているいま必然、高校時代にトリップしていく。
藤沢の自宅やバイト先の駅前から、とりあえず海へと向かうのが日課だった。江の島に出て僕の場合はだいたい東へ。七里ヶ浜、由比ガ浜を走り、ショートコースなら鶴岡八幡宮へと続く若宮大路を走り、帰路へ。
ロングコースなら逗子へ、さらに葉山へ、そして三浦半島の先っぽ三崎へ。ここまで走ると約片道50km。原付ではかなり走り出のある距離だ。
三崎のコンビニでリポビタンDを飲んで、行きと同じように海岸線を走って家路につく。いま思うと、暇だったんだなとしか思えない、特に意味のないその行動を高校時代にひとりで50回は繰り返したと思う。
それだけ原付スクーターは楽しかったのだ。
ただ乗って、夜風を浴びているだけで楽しい。遠くまで行けることが嬉しい。
原付を手に入れてすぐ、県境を超えたいと思い、山梨県の道志まで走ったこともあった。何で道志だったかは覚えていないけれど、地図で見て、なんとなく左上の方(北西)知らないから行ってみようと思ったのだろう。
わずか1日で県境を越えられることにママチャリ少年だった僕は、感動した。
それからは、ちょっと遠くまで仲間と釣りに行ったり、寝袋だけ持ってひたすら西へ走ったり、ガソリン代以外ほとんどお金をかけないプチ旅を幾度となく行なった。
原付を手にするまでは自転車でも旅をしていたが、やはり限度がある。僕にとって原付は「どこでもドア」を手にしたような衝撃だった。しかも、ドアを開くと別世界なんて味気のないものではなく、道中も楽しめる、理想的な乗り物だった。
多摩川を数カ月ぶりに渡る。コロナによる「県をまたぐ不要不急の外出禁止」は守り続けていた。この数カ月、本当に苦しかった。常にイライラしていたようにも思うし、性格まで変わってしまったと自覚している。
まだまだコロナの終息は見えていないし、一時的な解除である可能性は大いにある。それでも嬉しい。晴れている夜、県境を越えられるだけで、何でこんなに嬉しいんだ。原付に乗ってシタミチで渡る県境の多摩川は感慨深い。
国道1号線を走り、川崎から横浜へ。時刻は24時を過ぎた。ますますクルマの往来は少なくなり「イチコクは俺の道だ!」なんていう占有感に浸る。
レッツはコンパクトながら、シートは快適、ポジションはゆったりで、まるで疲れていないことに気づく。
加速はスムーズ。音は静か。高校時代に乗っていた2ストローク車とは、ずいぶん異なる。白煙をまき散らすこともなく、匂いも少ない。
安全面ではエンジンブレーキがけっこう利く。これも4ストの特徴だろう。後ろにクルマがいないときは、赤信号の少し手前でスロットルを戻した。すると、エンジンブレーキが働き、それだけでも停止できる。ただ、後方にブレーキをしていることを知らせるため、レバーは軽く握った方がいい。
広大な横浜市も間もなく通過する。藤沢市に隣接する戸塚区に入ると、道がようやく片道1車線ずつになり、地元に帰ってきた感が増す。
ドン・キホーテが見えてきた、俺の家も近い♪ と口ずさむ。戸塚区原宿にあるドン・キホーテは、高校時代に2ストロークのエンジンオイルを買いに行っていた店だ。
いまは、4ストローク車だから、つぎ足す必要はなくなった。4ストの場合、約3000kmでの交換が必要となるが、2スト時代はけっこうな頻度でオイルを継ぎ足していた。交換の手間はなかったが、トータルで考えると、やはり現在の4ストの方が楽だろう。
ちなみに僕の高校時代、とにかく流行っていた原付スクーターが3機種あった。ホンダ「Dio ZX」、ヤマハ「JOG ZR」、そしてスズキ「ZZ」。
クラスの人気者やイケメンは、だいたいこの3機種のどれかを選んだ(当時イケメンという言葉はなかったが)。なかでも僕の高校では、学年一のイケメンが、スズキ「ZZ」を選んだことで、これが一番に人気機種となる。
ZZは、ジーツーと読み、それもかっこよかった。さらに車体が一回り大きく見えて、風格もあった。リアキャリアは備わっておらず、そのかわりにかっこいいウイングが付いていた。
ウイングが付いているのはZXやZRも同様で、このウイングのありなしが当時のモテバイクかどうか、だったように思う。
ちなみに当時の僕は、ウイングなしの庶民的な機種を選んだ。理由はお店で一番安かったから。
後々、キャリアに荷物が積めることもわかり、遠出が趣味になったあとは「ウイングの代わりにキャリアが付いているモデルを選んでよかったぁ!」と、当時の高校生ではちょっと変わったところで愛車に魅力を感じていた。
ちなみに、現在はウイングが付いた原付スクーターはどのメーカーもラインナップしていない。かといって必ずキャリアが付いているわけでもない。
レッツにはキャリアが備わっている。だから大きなバッグも積める。久々に実家に帰るにあたり、持ち物が増えたため、助かった。
荷物を運んだり、遠出をしたいと考えている人には、キャリア付きの機種をおすすめしたい。このキャリアひとつで原付スクーターにできる可能性の幅は大きく広がる。
実家のそばのコンビニに着いた。走行距離はおよそ50km。東京都新橋から神奈川県藤沢まで、ちょこっと寄り道や撮影をしながら、かかった時間は2時間10分ほど。
大型バイクだと高速に乗って、1時間たらずで帰れてしまう家路は、原付では濃密なものだった。
心地よい達成感を覚えながら、実家で冷えたビールを飲む。
原付スクーターを初めて買った高校時代を再び思い出す。白いナンバープレートを見たとき、社会の仲間入りを感じた。交通ルールをしっかり守ならければならない。大人になったような気分で、興奮した。
すると人生観のようなものも変わる。もしいまこの記事を読んでくれている10代後半の方がいれば、嬉しく思う。
でも、バイクは危険をともなう乗り物だということを忘れないでほしい。免許取得直後に事故を起こした仲間は何人もいる。周りの近しい大人の承諾を得ずにバイクに乗って、もめごとになった仲間もいる。
何かあれば、それまでの楽しい思いも台無しだ。
自転車からバイクに乗り換えた瞬間、責任は途端に大きくなる。どうか、それを忘れないでほしい。
文・写真:西野鉄兵